豊橋市議会 2023-03-08 03月08日-04号
事前に担当課にこちらについても確認したところ、豊橋市の基準は1997年4月1日から施行されていますが、この基準の根拠は、昭和47年に施行された愛知県の基準を基にしたとのことです。現在は、愛知県の補助はなくなっていますが、市は独自に補助金を出してこの基準を維持していることが分かりました。
事前に担当課にこちらについても確認したところ、豊橋市の基準は1997年4月1日から施行されていますが、この基準の根拠は、昭和47年に施行された愛知県の基準を基にしたとのことです。現在は、愛知県の補助はなくなっていますが、市は独自に補助金を出してこの基準を維持していることが分かりました。
この取扱いについては、昭和50年頃までの布おむつのライフスタイルが主流であった時代のおむつの取扱いを今日まで続けてきたものと私は理解しております。また、この使用済みおむつの持ち帰りについては、保育園側も個別に保管する手間もかかり、また保護者も持ち帰る不便があるだけでなく感染症のリスクといった衛生面の問題もあるとのご指摘もございます。
そうした中で、実は生涯学習というのが言われ出したのは、まず岡部教育部長さんはまだ市役所にみえなかった昭和五十五、六年だったと思います。56年の中教審の答申では、生涯教育ということで、人々は自己の充実、啓発や生活向上のため、適切かつ豊かな学習の機会を求めている、これからの学習は自己に適した手段、方法を自ら選んで、生涯を通じて行うものであると生涯学習が定義づけられたのであります。
一方、今回整備されるアクセス道路の島田橋付近には、昭和41年に都市計画道路に決定した環状線の計画があります。この計画はどこまで進捗しているのでしょうか。地域の方からは、速やかに環状線を整備してほしいと要望を受けています。当初は、新病院のための環状線ではありませんでしたが、現在では、半田市の北部地域から新病院へアクセスするには、一番の近道になるはずです。
もう一人の方も5期20年市議会議員をやられた方ですけれど、この方は先ほどの方とは全く政治的な立場は違う方ですけれども、興味深いお話を頂いたのは、昭和50年から60年の頃に岩田の総合球技公園、神野の総合体育館、そして豊橋公園、スポーツ施設と公園の在り方について、いろいろ議会も含めて論議した。そのときに豊橋公園は静かな文化的な公園としてしっかり充実していこう。
昭和58年にオープンした美術館は、本年で開館から40年の節目を迎えます。開館以来、美術館を支えていただきました皆様への感謝の気持ちを込め、これまで収集した3,500点を超えるコレクションの中から、えりすぐりの作品を展示する企画展を開催いたします。
碧南市では、昭和63年の健康都市宣言以来、健康づくりやスポーツの環境整備に取り組んできました。また、平成17年には碧南市スポーツ振興計画を策定し、市民のスポーツを通じた健康な心身づくりと明るく活力に満ちた社会の形成を目指し、そして、平成27年度から10年計画となる碧南市スポーツ推進計画を策定しました。 そして、そのスポーツ推進計画の基本的な考え方として基本理念が明記されています。
「条例廃止議案の上程に至るまでどのような議論があったのか伺う」という質疑に対し、「勤労青少年ホームは、勤労青少年福祉法に基づいて勤労青少年の健全な育成と福祉の増進を図るものとして設置されたものであるが、根拠法である勤労青少年福祉法が平成27年に青少年の雇用の促進等に関する法律に改正されたことにより、勤労青少年ホームの設置義務が削除されたこと、昭和50年代以降の利用者の激減により公民館としての利用が中心
大府市議会の議員定数の変遷を見ますと、昭和46年5月から平成3年4月まで30人だった定数を五度にわたり段階的に削減し、平成27年5月から、現在の19人となっています。 約50年間で、人口は倍増したにもかかわらず、議員定数は3分の2以下となりました。
107 ◆委員(小池友妃子) やはり48号のどこに当てはまるかがまた今度分からないんですが、さっきの46号の図の4ページのところで、ピーク時の特例による算定方法があるんですが、例えば46の参考資料2の1ページのところに、例えば昭和40年生まれの方の定年が63歳です。
昭和38年度生まれの職員は定年が61歳に、昭和39年度生まれの職員は定年が62歳に、以降、表に記載のとおり定年が引き上げられ、昭和42年度生まれ以降の職員については定年が65歳となります。よって、この表の一番下にありますように、丸印のついている年度は定年退職者が発生しない年度となります。
これまでいろんな、私も昭和の生まれではあるんですが、昔ながらのそうした概念を取り払っていただいて、職場に応じた、これからを見据えた、例えば男性の職員が1か月、3か月、職場から離れるということが今後日常になってくるということを意識していただきながら業務に取り組んでいただきたいなと、改善をしていただきたいなと思っております。
というのを、行政も踏まえて、昭和の時代に本来寄附をした、売買して売ったというのに移転登記をしなかったというのがもともとの原因だと思いますので、これをまた市民のほうに負担をかけるというのは非常にいかがなものかと思うので、今後もしっかりと対応してほしいというふうに思います。 時間の関係上、(2)へ行きます。
まず、坂井区の児童がスクールバス通学となった経緯につきまして少し説明させていただきますと、昭和32年に当時の小鈴谷町のうち、大谷、小鈴谷、広目及び坂井の4地区が常滑市と合併いたしました。その際に、坂井区の児童が現在の小鈴谷小学校に通学する際にはスクールバスで対応することについて市と坂井区との間で合意し、昭和38年の運行開始から、これまで約60年にわたって引き継がれてきたものでございます。
241 ◆建設部長(中村正典) この碧南中央駅前広場は昭和56年に約3,000平方メートルの新須磨駅前広場として都市計画決定され、同年、新須磨駅の移転として碧南松本第2土地区画整理事業により整備をしております。
一宮地域文化広場は、1980年、昭和55年9月に開館した施設で、美術室、工作室などを有する有隣会館、直径18メートルドームのプラネタリウム館、炊事場、天体観望室などを有する銀河の家、さらにフィールドアスレチックなどもあり、本当に幅広い世代が利用し、楽しんでいただいている施設かと思います。
その後、昭和28年の台風13号、昭和34年の伊勢湾台風、あるいは害虫被害などにより、美しい松並木も被害を受けました。そして、平成8年にはシロアリの駆除や補修を行ったようですが、近年、松の傷みが激しく、倒木、あるいは倒木のおそれがあるとして、そのような松の木の伐採も進んでいます。 常滑市の木は、皆さんもご存知のようにクロマツ、日本原産でマツ科の常緑高木です。
豊橋自然歩道は、昭和44年から50年以上の間、豊橋自然歩道推進協議会が行うボランティア活動により維持整備されてまいりました。しかし、会員の高齢化等の理由により、令和5年度末に協議会が解散することとなり、市としても自然歩道を何とか存続させたいとの思いから、約1年かけて今後の自然歩道の維持管理の手法について、費用対効果等を勘案しながら検討を進めてまいりました。
警察にお礼の連絡をすると、「昭和一桁の方は体が丈夫なので、不明になると、どこに行くかわからないくらいに体力があります。見つかってよかった」と言われました。この件以外にも、行方不明の現場に立ち会ったことがあります。 そこで、3項目目、認知症高齢者などが行方不明になった場合の市の対応と、警察などとの連携はどのようになっているか、伺います。
ユスリカ類は、昭和60年代頃から冬季に木曽川大堰上流区間で大量発生し、近年では、平成27年度から平成29年度は減少傾向でしたが、令和元年度に再び大量発生しており、この年は過去最大規模となりました。令和3年度は、元年度よりは減少しましたが、大発生と言える状況が継続しております。キソガワフユユスリカは、自身では飛ぶこと、すなわち自ら移動することができません。